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2012年02月05日

掛川文化シンポジウム

掛川文化シンポジウム 今日は1330から掛川文化シンポジウムである。
 うっかりしていたら、昼を大きく回っていた。
 昼食抜きで、1242ランカスター6発車。薄曇り。
 走行中に食べられるサンドイッチは手許にはなかったので、到着後に余裕があればと、ちらし寿司を持って行く。

掛川文化シンポジウム 渋滞も皆無で順調に走ったが、大須賀中央公民館に着いたのは1318。ちらし寿司を食べてる時間はない。しかし、遅刻せずに済んだだけでも良しとしよう。走行23km。

掛川文化シンポジウム 1322ホールに着席。左右方向ではきっちり中央、600mm超望遠でバストショットが撮れる程度に中ほどより少し後ろの、席に陣取った。



 1330開会(予定1330)。
 空席が多めである。
掛川文化シンポジウム ~1338掛川市長の松井三郎氏の挨拶。


掛川文化シンポジウム 1340~1421第一部:基調講演(予定1340~1420)。静岡文化芸術大学学長の熊倉功夫氏。『地域文化の真価を考える』
 横須賀で茶杓を八千本削った人の話、等(熊倉氏の還暦のときに60本作って貰った由)。「歴史によれば、日本を作り変えた力は、常に地方に有った」「衣・住は文化財として保護されてるが、食が放置されてるのは問題」

 休憩(舞台転換)。


掛川文化シンポジウム 1428~1533第二部:パネル討論(予定1430~1530)。『掛川文化の現状と未来について語る』
 パネリストの紹介が終わったところで第二部の録音や撮影が禁止されたのが解せない。

掛川文化シンポジウム コーディネーターは熊倉氏。

掛川文化シンポジウム パネリスト:大日本報徳社社長で前々掛川市長の榛村純一氏。
 「1977年の市長就任時、掛川の人は掛川のことを良く知らねばならないと言った」「東海地震と原発がなければ日本でいちばん良いところ」「報徳文化が根付いている」

掛川文化シンポジウム パネリスト:前東京学芸大学学長の鷲山恭彦氏。
 「学生時代、北国から故郷(土方)に帰ってくる度、陽の光が素晴らしかった」「ドイツは、大都市が少なく小都市が多いが、小都市は個性的で落ち着いた心地よい文化が素晴らしい」
 (全くの蛇足だが、2年ちょっと前、地域の生涯学習のパネル討論で母がパネリストのとき、コーディネーターを務めた)

掛川文化シンポジウム パネリスト:シンガーソングライターの吉岡亜衣加女史。
 「この会場の近くで生まれ育った、東京に行って故郷の良さが分かった」


掛川文化シンポジウム 1535~1545アトラクション:吉岡亜衣加ミニミニコンサート。2曲、歌った。


掛川文化シンポジウム 1548閉会。



 1555車内で、ちらし寿司。人心地ついた。
 1601ランカスター6発車。
 1638~1642給油(出光・西日本宇佐美・一号掛川SS)。ハイオク56.82リッター(リッター約6.8km)。
 1653~1712ジャンボエンチョー(ホームセンタ)。I字形ハロゲン電球(車庫用)、マクセル(液漏れ対策)単四アルカリ電池12本。
 1726~1749キングファミリー(リサイクルショップ)。ベネトンの大きめのビジネスバッグ、Body Maxのボストンバッグ、黒の革ジャケット(汚れが多し)。
 1801帰宅。大須賀中央公民館からの走行38km。



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