› ちゆきの懸想文 › 雲仙普賢岳の噴火災害から25年

2016年06月03日

雲仙普賢岳の噴火災害から25年

 ニコンF4のレリーズ釦に指を掛けたまま亡くなっていたという讀賣新聞記者の話は、「シンデモ ラッパ ヲ クチカラ ハナシマセンデシタ」を思わせる美談として、当初は報道された。
 其の後、私は、最初のオートフォーカス一眼レフとして、ニコンを選んだ(F4には手が出なかったので、F-801とAiAF80-200mmF2.8Sにした)。
 記者たちが立ち入り禁止地域に残って居たため其の地に留まらざるを得なかった消防団員やタクシー運転手の多くが犠牲になったことを知り、「美談」どころではなく「人災」であったと判ったのは、後の事である。因みに、高名な火山学者のクラフト夫妻も亡くなったことが知られているが、どういう交通手段で現地に出向いていたかは私には分からなかった。

 今、日本全国で、火山活動が活発化している。
 再び人災を招かぬよう、人知の限りを尽くす必要があろう。かのクラフト夫妻でも火砕流を予見できなかった、羹に懲りて膾を吹くことになっても良い、安全第一である。



この記事へのコメント
おはようございます
因みに、高名な火山学者のクラフト夫妻が近くにいたので、
安心して取材活動をしていた報道陣が多かったようです。
Posted by しか225しか225 at 2016年06月04日 10:57
 しか225さん、いらっしゃいませ。

 成程。
Posted by ちゆきちゆき at 2016年06月04日 16:35
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
雲仙普賢岳の噴火災害から25年
    コメント(2)